イヤールの月 2日
今日から新しい紙での記録が始まった。
これまでの日記と同じように、個人的な記録としていつか読み返すこともあるかもしれない。
いつもの場所にしまっておくことにする。
さて、今日は週の始まりなので、弟子たちを集めて製薬商会の報告と進捗を聞いた。
来週には地方に派遣していた弟子たちが戻ってくることになっている。
今回はどのような土産話が聞けるか楽しみだ。
明日は久々に街にでて、うちの店と工房の様子をを見に行こうと思う。
明日に備えて、早めに休むことにしよう。
イヤールの月 3日
街に出て、商会の薬品店の様子を見に行った。
とはいってもほぼ今は私は販売の現場にでることは少なく、半分隠居しているようなものだから、こっそり行ってもあまり気づかれない……
はずだったが、店の売り子にちらちら見られていたので、しっかりばれていたらしい。
いや、そもそも見た目が怪しいからと警戒していただけかもしれないが……。
そのまましばらく見ていたが、お客の入りも上々な様だ。
裏手の工房では、新しい薬の調合を試しているようだ。
現在、商会の経営をほぼ任せているカミルに久しぶりに昼の食事に誘われた。
カミルは私のもう一つの仕事のことも良く知っている。
もともとがあちら側の弟子だった故に、いろいろと理解が早くて助かる。私が最も信頼している弟子の一人だ。
食事をしながら、最近奥さんと調子はどうですか?などと聞いてくる。
調子も何も……どう言えというのか。いちいち私に言わせるのが楽しいようだ。
先生もたまには送り物をしたほうがいいですよ、一緒に選んであげましょうか?などという。
妻を良く知っているからだろうが、どうもよくからかわれている気がする。
どうでもいいが、仕事の方もちゃんとしろと言いたい。
しかしながら、こういう適当なところも含めて仕事ができる男なのだろうとも思う。
私が積極的に話さない分、彼の周りへの気遣いに関しては一目置いている。
私が彼を頼りにしているのにはやはり間違いない。
イヤールの月 4日
今日は家の自分の書斎で一日書類を書いて過ごした。
夕暮れ時に食卓をのぞくと、妻が食事の準備をしてくれていた。
めずらしく、私の好きな品を作るのだと腕を振るっていた。
しばらくして息子が帰ってきたので、一家三人で食卓を囲んだ。
息子は同い年の近所の商人の息子と商売ごっこのようなのものをして遊んだらしい。
お父さんのように薬屋さんをして遊んだの?と妻が聞くと、なにやら木を組み合わせ、大工の役をしたという。
それは将来有望ね、と妻は笑っていた。
確かに……ある意味有望だな。
やはり息子は、私の事をあまりわかっていないような気がするが……まあいいだろう。
昨日カミルに茶化されたことが気になっていたが、そういえば妻には近頃なにか贈り物をしたという記憶は、確かにない。
何を買ったら喜んでもらえるだろうか。
今までにあまり、なにか欲しいと言われたことがないので、いまいちわからない。
あいつに相談するのも癪だな。
どうするか……。
イヤールの月 5日
今日は山を登り、教団の建物に訪問した。
私のもう一つの職業でもある。
街の方の製薬商会の弟子たちの一部には伏せている、秘密の仕事場だ。
到着した私をひときわ大きな声で呼んだのは、初期に私に師事した弟子のひとりであるバラクだった。
まるで兵士のような厳つい見た目ではあるが、根は真面目だ。
ここでは統率力を発揮して、生徒をまとめている。
行くと、また知らない生徒が増えていた。
私がここを立ち上げてから後に知らない内に人が増えているが、きっと熱心な弟子たちが人知れず生徒をつれてくるのだろう。
この建物は、瞑想や精神修行体系を教える学校のようなものだが、実際にはもっと手広くやっている。
製薬商会も、その一つが大きく成長した姿だ。
私がかつて実家を出て修行しはじめたころから、あっという間の十数年だった。ようやくここまでやってきたと思う。
誰もが自分の精神を律し、自己を知り、多くの叡智とつながるための手段として、私は瞑想という手法を心から信頼している。
こうして直接弟子と一緒に活動するのは、今となっては週に一度くらいではあるが、それが楽しみでもある。
バラクによれば、今日は基本の瞑想を行っているそうだ。
私はこれまでにカバラの教えをベースに様々な瞑想方法を考えたものだが、やはり基本に立ち返ると安定する。
久しぶりに、深く自分とつながる感覚を共有できて嬉しく思う。
イヤールの月 6日
このあたり一帯の薬剤師ギルドの会合に出席した。
店の事は殆ど若手に任せてしまっているから、私は付き添いのようなものだ。
お目付け役のように座って目を光らせているだけでいい。
この薬品を扱う商会ギルドもだいぶ賑わってきている。
ここ数年で随分増えた。
私の商会は、この薬剤師ギルドが立ち上がりかけたところで勢いで加入したいくつかの商会の中の一つだったが、あれは運がよかった。
今は、大分加入条件が厳しいらしい。
うちで扱っている薬は出所をはっきりと言えないような物もあるから、もしも今なら怪しまれて加入できなかったかもな。
そのあたりは伏せて、つつがなく今日も終えた。
それと、会合で、西方の国々での流行病の話が少し出たのが気になっている。
相当猛威を振るっているようだが……。
ギルドの他の商会の親方達は、あまり実感がないようだ。
私は妙に気になったが、どうなのだろうか。
もっと知る必要があるかもしれない。
イヤールの月 7日
明日の安息日に備えて、商会の弟子たちは早めに帰宅したようだ。
そのように決まっているから、私もそこはそのままにしている。
あちら側の弟子たちと違って、製薬商会の弟子や徒弟たちは、私の宗教家としての一面をしらない者も多い。
彼らにとっては、魔術、錬金術など、あらゆる言葉は怪しげなものでしかないのかもしれない。そんな私の経歴を聞いたならば、裸足で逃げ出すかもしれないな。
だが私は、この製薬商会、そして教団、二つの場所を同じように自分の信念を頼りに、大事に大きく育ててきた。
そして、そんな私についてきてくれる人々がいた。
どちらが表とか裏とかいうわけではない。
私にとってはどちらもが大事なのだ。
私が自分で信じてきたことをどちらの道でも使っていく、それだけだ。
最後には、全てが役に立つと信じている。
だからこれからも自分のためにも続けていくつもりだ。
この先ずっと、私から弟子へ、またその先に受け継いでいくために、できることをやっていく。
イヤールの月 8日
今日は週の終わりの安息日。
妻と、息子と、久しぶりにゆっくりと話をして触れ合った。
私自身はどうとでもなるが、息子には、きちんと、元の暦に則って生活をさせている。
これは生きる上ではいずれ必要になるかもしれないと見越してのことだ。
勿論妻もそれに合わせてくれている。
妻は、いつも楽しそうで、活動的で、見ているとなにか愛らしい小動物を見ているような……いやこれは失礼だな。
だがかつての私の仕事を手伝っていてくれた頃からすると、本当に立派に母親という役割をよくやってくれているものだと思う。
ただ、教団の弟子だったころの癖が抜けないのか、いまだに私を師匠だの先生だのと呼ぶのは、少し困ってしまうが。
いや、妻だけの問題ではない。
いまだに何か気恥ずかしいような気持ちで、距離感が分からず、どうも不器用にしか振る舞えない私が言える立場ではないのは確かだ……。
そういえば、私の弟子になった当初の妻は、あらゆる勢いがものすごかった。
一体どこから私の話を聞きつけてきたんだったか……とにかく熱心な弟子だった。
あの頃弟子を取りまとめはじめていたカミルが連れてきたような気もするが、覚えていない。
あれから弟子として、そして今は妻として、本当に良く働いてくれている。
昔とは違うが、今の生活も楽しんでくれているといいんだが。