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あなたへの伝言
夫が旅に出て、一年。
やっとこの日記を開きました。
彼はあの時、すぐに読んでもいいぞ、なんていっていたけど、
私は読まなかった。
私、ちゃんと約束は守る方だもの。
でも今、ようやくこの日記を開いて見て、びっくりしている。
ねえあなた、やっぱり私に読ませる気なかったでしょう?
でも、本当に、あの人らしい日記で、私は思わず、笑っちゃってる。
あの人の言葉が、何を書いているか、今の私には全然分からないけど、読めなくても伝わってくる。
あの人の、恥ずかしがりで、不器用な言葉が、きっとここにはたくさん書かれているってわかる。
なにか新しい物を作れないかといつも奮闘していた様子、
弟子たちに瞑想のやり方を、子供みたいに楽しく教えていた様子。
息子の成長を楽しみにしてくれていたこと。
そして、私をひっそりと見つめて、静かに愛してくれていたこと。
あなたが頑張って笑ってくれた顔、今でも覚えているよ。
いつもあなたは無口だった。だけど本当はもっとずっと、あなたはたくさん喋る人だったよね。
ここに、あなたが残してくれた、聞こえない言葉を感じる。
あの日、酷い顔で、シモンさんが私の家にやって来たのが、つい昨日の事のように感じる。
夫の乗っていた船が、嵐に巻込まれて沈んでしまったという連絡がきた、と告げにきてくれた。
彼は行方不明で、一緒にいた弟子たちも消息がわからないという。
まだ、信じられないまま、この空白のページに私は話しかけている。
あの人はいつも不思議な言葉や物で私を驚かせてくれたけど、こんな驚きは、別にいらなかったよ。
きっと、あなた自身もびっくりしているよね?
彼が居なくなったことは、ごく近しい弟子のみんなだけに伝えられた。
彼の製薬商会は、カミルさんが引き継いでくれると約束してくれた。
「先生はなにもかも、全部準備してくれていた」、とカミルさんは噛みしめるように呟いていた。
教団の方も、バラクさんが、なんとか先生の教えを受け継いでいく、と言ってくれた。
一緒に行方が分からなくなってしまった弟子の中には、愛弟子のラディスラフ君もいたはずだった。なのに、バラクさんは気丈に振る舞って、強い人だと思った。
昔なじみのダニエルさんも、あの冷静なトマシュさんでさえも、みんなが悲しんでいたけど、あなたの教えからすれば、これは本当のお別れではないわよね。
きっとみんなそれをわかっているから、強く前を向いていた。
息子には、何も言えなかった。
シモンさんは、このままここで私と二人でいるよりは、息子を彼の実家の方に引き取ろうかと言ってくれている。
彼自身、実家とはいろいろあったと聞いているけれど、彼の忘れ形見をきっと立派に育ててくれるはず。
彼の血筋が続いていくなら、とても嬉しい。
それに、貴女はまだ若いから再婚することもできる、とも言ってくれた。
直接は口に出さないけれど、きっとシモンさんは、私が息子と一緒に彼の実家へ行くことは、快く思ってはいないのだろう。
息子の幸せの邪魔になるなら、私は身を引くつもりだ。
私は、まだ自分の行き先を決心できないでいる。
しばらくは彼の思い出が残るこの場所にいたいと思う。
また弟子のひとりに戻って、教団の手伝いを始めるものもいいかもしれない。
彼との思い出は、まるで昨日の事のよう。
彼は、目に見えないたくさんの贈り物や知識をくれた。
でも私には、手に触れられるこの首飾りがやっぱり、一番しっくりくるみたい。
街の女の子に細工してもらったと聞いたときはちょっとびっくりしたけれど、そういうところも隠さずに言ってしまうような素直なところも大好きだった。
一緒に弟さんのお墓参りに連れていってくれたのも嬉しかった。
どうしてあの日だったのかなと今も不思議に思う。
きっとあなたも最後だと思っていなかっただろうけど、弟さんが呼んだのかも。
あちらで再会できているといいね。
あっ、そうだ。
彼が今まで書き残して隠していた、このたくさんの日記を、息子の荷物に入れてあげよう。
私にはさっぱり読めないけれど、賢い息子なら、きっと大きくなった時に、彼の日記を解読できると思う。
彼の知らないお父さんの姿が、きっとその時にわかるはず。
その時に、息子が、こんなことが書いてあったよ、って私のところに伝えに来てくれたら嬉しいな。
そうしたら息子に、彼の昔話を、沢山してあげよう。
やっと書き終えることができた。
先生、師匠、あなた。
どんな時のあなたにも、たくさん話したい言葉が、私にもあったのよ。
あなたがたくさん話すのが苦手だったのなら、今度は私からあなたに沢山話しかけるよ。
そうしたら、きっと返事をしてね。
会える時まで、ずっと待ってる。
もしどこかで生まれ変わって会えたら、もっともっと、たくさんおしゃべりしようね。
大好きよ!