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イヤールの月 16日

今日の商会での集会は、これまでの成果を伝え発表する定例会議になった。


まずは、各地に派遣していた弟子達が、先週の内に無事に皆帰ってきたことを喜び合う。

大きな事故や怪我もなく帰ってこれたのは奇跡だ。


家族が居るものも多かったから、久しぶりの再会で、昨日の安息日はゆっくりと家で過ごしたものも多かっただろう。


また、久々に全員がそろったところで、これまでの決算と売上の分配を行った。

今日は会議のみで早めに解散すると、皆それぞれに得た給料を持ち街へと出かけて行った。

きっと家族や自分のために、各々使うことだろう。

私にも自分の取り分が入ってはいるが、特に今更買う物もないので家計を預かる妻に渡そうとしたが、ふと思い立ち少しだけ取っておく。

家に戻り、引き出しの奥をじっと見て、改めて決めた。

そうだな、明日はあの店にいくことにしよう。

イヤールの月 17日

今日は先日出会ったアンナの店に行った。


理由は、私がこの前手に入れた、あの美しい琥珀を加工してもらうためだ。

この琥珀をもしも妻への贈り物にするならば身に着けられるものがいいだろうと思い、加工も確かしていたはずだ、とアンナを当てにしてやってきたのだ。

店に訪れると、アンナは私の再訪を喜んでくれた。

加工をしてもらいたい事を伝えると、本当に私でいいんですか?と驚かれたが、是非に、と頼むと快く了承してくれた。

懐から取り出した琥珀の玉を渡すと、珍しそうに眺めていた。

妻へのプレゼントだというと、えっ!奥さんいたんですか?!と露骨に驚かれたが……まあそれはそれで、聞かなかったふりをして置いておく。


身に着けられるように加工してほしいと注文して、それ以外は彼女に任せることにした。

注文してもらったのなんて初めてです!と彼女は随分とやる気を出してくれたようだ。


出来上がりは急がないのでゆっくりでいいとお願いした。

完成が楽しみだ。

イヤールの月 18日

今日はラグバオメルの日だ。

オメルが終わり各地で火が焚かれ祝われる日でもある。

私が祝う事ではないかもしれないが、妻の勧めで小さな火を焚いた。

昔は、父、母、弟、それに沢山の召使たちと一緒に近くの広場に焚き火を見に出かけたことを思いだす。

比較的新しい祭りで、私が生まれる少し前におこなうようになった、とも聞いた覚えがある。

父はあのあたりのユダヤ商人としては随分と知られていたから、広場に行くと、実家の近くに住んでいた教徒たちが皆幼い私たちにも声をかけてくれた。

父親は厳格な男で、ユダヤの古い教えや律法を私たち兄弟にも教え込んでいたが、幼かった私たちはその日は踊って遊ぶ楽しい祭りのつもりで参加していたことを思いだす。

私と妻と一緒に炎を見てはしゃいでいる息子の姿は、あの頃の私と弟のようだな。

少しだけ懐かしい。

弟の墓は、実家のすぐそばに今も建っている。

私があの辺りにあまり姿を見せるわけにはいかないが、いつかまた、ちゃんと墓参りをしてやりたい。

イヤールの月 19日

教団を訪ねると、やけに盛り上がっている弟子が何人もいた。


昨日のラグバオメルのことについて話しているように聞こえたが、改めてその場にいたバラクに何事かと聞くと、どちらかというと祭りそのものよりも、昨日はあの秘伝書、ゾハルを口伝した著者の命日でもあったという話から、かの書物の話になり、大いにそれについて話していたという。


ゾハルか。確か教団のどこかにも写しがあったはずだ。


弟子たちにもそのうち見せてやろうと思いながらも、書物の内容自体を思いだす前に、その書物を手に持った懐かしい姿と別の記憶がよみがえってくる。


私が初めてそれを目にしたのは20代のころだったか。

……私のかつての師匠が、それらのうちのいくつかを、何故か持っていたので見せてくれていた。


当時の私にはどんなことも新鮮で素晴らしかったが、その書の内容については難解で、理解はできなかった。

それでも必死に読み取ろうとしている姿を笑って見守ってくれていたことを思いだす。


師匠……いや、彼女が持っていた分は、きっとあの後、一緒に燃えてしまったのだろうな。

時が、数十年もあっという間にさかのぼり、幾度か振りに、何ともいえない苦しさが胸に湧き上がるようだった。

それを振り払うように、帰宅してからは部屋にこもって一人瞑想する時間に費やした。


今の私に、少しでもなにか返せているだろうか。

イヤールの月 20日

昨日の気持ちを引きずりながら昔の手記を引っ張り出して眺めていると、懐かしさと、身悶えるような想いと、そしてかつて、乾いた喉を潤すように知識をむさぼっていたころを思い出し、そのまま久しぶりに趣味の研究に没頭した。

若いころは随分と向こう見ずに何でもやったものだが、今はそこまで命を張るつもりはない。ほんの少しでも、十分楽しめると心に留めている。


1人で考えているうちに、鬱屈した気持ちが少しずつ、喜びに変わっていく感覚を覚えた。


この私の部屋、私の机、私の書斎。

そして密かに行う儀式や実験の、何と魅力的なことか。

答えなど簡単に出ず、新しい発見と確認の繰り返しを続けていくこと。


20代の、実家の部屋の片隅で机を見つめていたあのころから、私が喜びを感じるための精神性は全く変わっていないらしい。


あの頃、あの場所は私にはあまりに辛いことばかりだったが、それが今の私につながってくれている。

全ては無駄にならない。私に、絶望と共に喜びを教えてくれた。

そして今度は、私がそれをつないでいく番。


私も、……いや、俺も、もうやはり年なんだろうな。

どうにも昔のことばかり思いだすのは。


今日はうっかり一日没頭してしまったが、少しだけ、今の自分を見つめなおすことができた。

もう時間も遅い。片付けは朝にして、休むことにしよう。

イヤールの月 21日

今日は、やけにすっきりとした目覚めだった。

なにかいい夢を見た気がする。……気のせいかな。



昨日の片づけをして、朝から部屋の掃除をして整えた。


ついでに、安息日の前日には身を清めることになっているが、私も久しぶりにしっかりと髪を洗おうかと思い立った。


何しろ長いので、なかなかに手間がかかる。

先生は物好きですねえ、と弟子に言われるが、まさに私は好きでやっているから別にかまわない。

が、まあ面倒といえば面倒だ。


今は妻が手伝ってくれるので大分楽になった。

私の髪を、ゆっくりと布で拭きながら、たわいもない事を話しかけてくる妻の声が好きだ。

なんとなくいつも良い気分になって、眠くなってしまうのは内緒にしている。

一応、夫として、師として、威厳は保たなくてはと、なんとか座ったまま眠気に耐える。


人の前に立つためにはと何とか身に着けたこの厳格さが、

ぼろぼろとはがされているような……。

妻の前ではなぜか弟子に対するようにしっかりとできないのは、その自由さと無邪気さに翻弄されているせいだろうか。


昔の私になんとなく、今の妻は似ている気がする。

こういう気持ちで、師匠は私を見ていたのかもしれないな。


そう思うと、何とも言えない感覚が胸をくすぐる。

気恥ずかしいような、昔の自分と、もう一度再会した様な。

髪を梳かされている間、ゆるやかに流れていく時間に身を委ねた。

イヤールの月 22日

安息日の朝。

今日はゆっくり過ごすつもりで遅めに起きてくると、息子が近寄ってきたので抱きかかえてやった。


膝の上にのせてやると、どうも昨日の私と妻の様子を見ていたらしく、腰回りの髪の毛を触って興味深そうに引っ張られた。

あまりぐいぐいひっぱるんじゃないぞ。痛い。


「お父さんはなんでいつもお母さんの真似をしているの?」と何気なく聞かれる。

真似じゃない、こういう長さなのだといっても良くわからないらしい。


息子は私が居ない時には弟子達に遊んでもらっていることも多いようだが、ここまで私のように髪を伸ばしている者は他にはいないから不思議なようだ。


しかし息子よ、後ろ姿ではさすがに母さんと間違えないでくれ。

よく見ろ、全然背丈が違うだろう。


食卓で座っている時に呼ばれて振り返ってみたはいいが、顔を見てちょっと怯えられるのには、私は最近、少し傷付いているんだぞ……。

それを見て妻が大いに笑っているのにも、若干へこむんだが。

親子揃って私をどうするつもりなんだ……完全に主導権を奪われている気がする。

妻と息子が楽しそうなのはいいことだが、家長の存在感というのは……

……まあいいか。私にも、まだまだ家族とは、未知の世界だ。

よりよい家長になるために、学ぶべきことは学ぶ。

きっと二人にとって、良い父親になってみせよう。

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