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イヤールの月 23日

先週の会議の結果をふまえて、各地から持ち帰ってきた新しい材料と知識をもって弟子たちが工房に集まった。


弟子達の間で活発な意見交換が行われているのを見ていると、自分も気持ちが高まる。

これまでに流してきた薬と、それに代わる薬効を高めた薬を研究することが出来そうだ。


薬の作成を行っている工房は、商会側と教団側とのちょうど中間だ。ある意味、二つのものがここで交わっている。


働いている者の中には教団から異動してきたものも何人かいる。

最近徒弟から職人になったラディスラフは、あのバラクの愛弟子だったそうだ。

新しい仕事が楽しくて仕方ないという顔をしていた。


彼だけではなく、他の皆も熱心にしてくれている。

沢山の弟子たちが、本当に、よくここまで育ってきてくれたと満足して帰宅する事が出来た。


夕暮れの工房の窓が光を映して輝いているのがとても美しい。

これからもこの場所で、末永く発展していってほしいと思う。


いつまで見守ることができるのかわからないが、私の力がある限りは守り育ててやりたい。

イヤールの月 24日

今日はふと思い立ち、懐かしい場所に行った。


今でこそ製薬商会も教団も大きく育ったが、この街に私が初めてきた時に住んでいたのは、町はずれの小さな裏路地通りだった。


私が1人実家を出て十数年流れ歩いて、修行の末たどり着いたこの街。

当時の私は、つてもなく、あてもなかったが、それでもここから自分の場所を始めると決めた。


今ではもう、私が住んでいた部屋には新しい住人がいるはずだ。だが、初心を思い出したい時に、たまに訪れている。


古い街だから当時の私を知る人々もまだそこには住んでいて、今でもたまに声をかけてくれる。


この日は、たまたまゼーマン夫妻に出会った。仲の良い夫婦で、もう長く一緒に過ごしている。

あの頃も、素性の知れない私にも声をかけてくれていたが、当時から変わらない、いつもほがらかな笑顔を見せてくれる。

挨拶をすると、この前そちらの薬で妻が世話になったとわざわざお礼を言ってくれた。


あの夫婦にも、いつまでも健康でいてほしいと思う。

私の仕事が何かの役にたっている、というのを見るのはいいものだ。

これからも、他に何ができるだろうかと模索していきたい。そう改めて思う。

イヤールの月 25日

今日は、カレル大学の教授が訪問する日だった。

上機嫌でやってきた教授は、土産に、珍しい薬草を持ってきてくれた。


この前渡した薬は、大学で大いに議論を呼んだとのこと。

出所を誤魔化すのが大変だったそうだ。


薬をつくるという専従の職についている者、つまり薬剤師が、医者の真似事をすることは、基本的には禁止されているが、

教授はもっと薬剤師の地位を向上させてもいいのではないかと言っていた。


こちらの商会に優秀な薬剤師や弟子がたくさんいると知って、何人か大学に引き抜きたいとも考えているようだ。

教団のほうでは、その半分は錬金術的な実験に応用しているので、おおっぴらにはできないが、何かの役にたつならば協力したい。


また、教授は西方の黒い流行病についても懸念していた。

ギルドではさほど話題にならなかったことを私も覚えているが、話を聞く限り、あちらではかなり深刻な被害が出ているようだ。

病の原因や治療法もわからないらしい。


私は一つ、教授に頼みごとをした。教授は快く承ってくれた。

お礼に、わたしからも、なにかあればすぐ協力する旨を申し出ておいた。


やはり、私もなにか手を打たなければならないのかもしれない。

イヤールの月 26日

今日は教団に赴き、独自体系の瞑想法で長めに指導を行った。


終わった後に弟子が質問に来たが、なかなかに自分自身の知識と力の見極めがうまくやれており、問答がはかどり楽しい日だった。


ここ最近、とくに弟子たちの成長が著しい。

私のこれまでの実践と知識は、ほぼ書物にまとめ、自由に参考にしてもらい、理解が進むように教えているが、それもよく読み込んでいるし、私から口で伝えられたやり方をまた別の者に教えるのもうまくなった。


こちらも、そろそろ製薬商会のように後継の弟子に任せても良い時期かもしれない。


まあ瞑想等はある意味生涯の趣味でもあるので、弟子に指導することがなくなっても、私は自分で好きに続けるつもりだ。


そんな教団の弟子たちの成長について、帰宅してから妻に伝えると大いに喜んでいた。

妻も同じように私から学んでいたころにはとても一生懸命だったから、話を聞いて懐かしくなったのだろう。

もしも先生が教団を引退しても、私が一緒に瞑想してあげますから大丈夫ですよ!と言われる。


妻よ。引退するとはまだ言ってないんだが……。

だがいずれは、それでもいいかな。

今度は久しぶりに、一緒に誘ってみようか。

イヤールの月 27日

今日は朝早くから人が訪ねてきた。カレル大学に通う学生だ。

先日教授が帰る際に頼んでいたことだが、私が西方の黒き病について詳しく聞きたいと申し出た時に、教授はそれについて研究している医学部の学生を1人派遣してくれると伝えてくれていた。

帰宅する途中に住んでいる生徒に心当たりがあったらしい。

私ははるばるやってきてくれた学生を招き入れ、詳しい話を聞いた。

彼も直接は現場に行ったことはないようで、伝聞による話ではあったが、それでも聞いているだけで恐ろしい地獄絵図が思い浮かんだ。

医師はどういう治療をしているのか、薬は何が効くのかを聞きたかったが、直接行くだけでも死の危険があるという。

学生は知る限りのことを話してはくれたが、最後に、声を潜めてこのようなことを言った。

現場では、病の原因について色んな根拠のない噂も流れている。

もしもあなたがその病に関わりたいのなら、絶対にあなたの素性を知られてはいけない。名前も名乗ってはいけないし、その話す言葉も口に出してはいけない。

彼は一通りの事実と、一つの忠告を残して帰宅していった。

……私は、この話を聞いたのが私だけでよかったと安堵した。


彼の忠告は私自身に重くのしかかった。

一度は捨ててきたはずのものが、ここで私を縛るのか。


決心が揺らぎそうではあったが、それを越えてでもやる価値がある。そう強く感じた。

イヤールの月 28日

夕方、部屋で色々と考えを馳せていると、息子が突然花を持ってきた。

なにかと思えば、今日は私の誕生日だから、という。


誕生日か……。

自分で、すっかり忘れていたことに驚いた。


息子は妻と共にあの野原に行き、この花をつんできたという。

それと一緒に、手書きで書かれた手紙をもらう。

中を開くと、私の誕生日の祝いの詞が添えてあった。

妻が私の居ない間にこっそりと息子に教えていたようだ。


この年でこれほど書けるとは立派なものだ、と褒めていると、奥から妻が出てきて、親バカですねえ、と突っ込まれる。

いっておくが君も同じだからな、と釘を刺しておいた。


……が、息子よ。


良く考えてみたら、私の誕生日は、明日だ。

ちょっと早いぞ。


これには妻もうっかりしていたようだ。二人そろって抜けている。……いや、そもそも忘れていた私が、一番の間抜けか。


まあ、今日でも明日でも同じようなものだから、祝いの一番乗りは息子に譲ってやろう。


そういえば、今日は会った弟子たちも何かそわそわしていたような……。なるほど、道理で……。

今日の内に思いだせてよかった。


明日が楽しみなような、面倒なような……

イヤールの月 29日

今日は安息日。そして私の誕生日だった。

案の定、朝から弟子たちがそろって誕生祝いを持って来た。

昨日の息子のおかげで妙な空気にならずにすんで助かった。


深い赤色をした液体の入った大きな瓶を取り出したかと思うと、弟子達は、独自研究した薬の試作品だといって私に渡してきた。


自信たっぷりに、これを飲めば先生の寿命もあと30年は伸びます!などという。

そんな、研究結果の検証がとれるかどうか分からない物を、どうして寄越すんだ……。

私が死んだら失敗ということでいいのか……?

話を聞いて、すこし頭を抱える。

たまに抜けているんだよな、あいつら……。

しかし、気持ちは嬉しい。ありがたく受け取った。


その後、商会の弟子たちや近所の人々に声を掛けられたり食物を貰ったりとなかなか忙しい日になった。

一体誰が教えたのか……。きっとおせっかいな弟子たちだろう。


夜になり、一人でゆっくりと星を見た。


今日は、私の誕生日であるとともに、弟の誕生日でもある。


同じ日に生まれた双子の私たちは、小さいころはいつも一緒に祝ってもらっていたが、袂を分かってからは出来なくなっていた。

そして、弟は、私よりも先に旅立っていった。もう十年近くになる。


毎年この日が来ると、弟の事を思いだす。

姿はないが、同じ年を重ねることで彼の存在を思いだす。


人は、いつまでも生きてはいない。

それを乗り越えようとしている私を、彼はどう見ているのだろう。

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